大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 昭和54年(わ)281号 判決

主文

被告人を懲役八月に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三二年三月一三日付で歯科技工士の免許を受け、爾来歯科技工の業務に従事していたものであるが、歯科医師でないのに、別表記載のとおり、昭和五三年七月二四日ころから、同年一二月二日ころまでの間、前後約八九回にわたり、札幌市北区太平五条一丁目三六番地九三に設けた歯科技工所において、業として、宗清重治ほか二五名に対し、問診、印象採得、咬合採得、試適、装着等の行為をなし、もって、歯科医師でないのに歯科医業をなしたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は包括して歯科医師法二九条一項一号、一七条に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役八月に処し、情状により刑法二五条一項一号を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

一、弁護人は、歯科医師法一七条は、「歯科医師でなければ歯科医業をなしてはならない。」とのみ規定するが、歯科医業の内容及び範囲について、同法は何らの定義規定も置いておらず、実体刑罰法規としては犯罪構成要件が不明確といわざるを得ず、罪刑法定主義を規定した憲法三一条に違反するものであるから歯科医師法一七条の規定自体違憲無効である旨及び本件起訴にかかる印象採得、咬合採得、試適、装着の各行為は歯科技工法二〇条所定の各行為にほかならず、本来同法によって規律されるべきものであるところ、同法はその二〇条で「歯科技工士は、その業務を行うにあたっては、印象採得、咬合採得、試適、装着その他歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。」と規定しているのに、右二〇条違反の各行為について罰則規定を置いておらず、このことは、右二〇条所定の印象採得等の各行為が刑罰をもって処断すべき行為(可罰的違法行為)でないことを明らかにしているものであるから、本来訓示規定にしかすぎない右二〇条違反の不可罰的行為である印象採得等の行為を、歯科医師法一七条違反として処罰するということは、まさに脱法的処罰にほかならず、罪刑法定主義及び適正手続を定めた憲法三一条に違反するものである(歯科医師法一七条の適用上の違憲性)旨の各主張をするので検討する。

まず、歯科医師法が、同法一七条にいう「歯科医業」の定義規定を置いていないことは所論のとおりであるが、同法にいう「歯科医業」とは、反覆継続の意思をもって、歯科医行為を行うことであると解され(参考、大審院大正五年二月五日判決・大審刑録二二輯二巻一〇九頁、最高裁判所昭和二八年一一月二〇日第二小法廷判決・最刑集七巻一一号二二四九頁など)、しかも、同法一七条の立法趣旨は、歯科医業を、非歯科医にも自由に行わせると国民の保健衛生上危害が生ずるおそれがあるので、歯科医業は、歯科医のみが行ない得るものとしたと考えられるところから、右の「歯科医行為」の意味も、歯科医が行なうのでなければ国民の保健衛生上危害を生ずるおそれがある行為であると解される。

このように、歯科医師法の規定する無資格歯科医業の構成要件(同法一七条、二九条)は、そこに合理的解釈を施すことによって、容易にその内容を明確にすることができるものであって、同法一七条にいう「歯科医業」の意義が不明確であるということはできない(最高裁判所昭和五四年(あ)第八五四号・昭和五五年七月四日第三小法廷判決参照)から、同条の規定自体違憲無効であるとする弁護人の所論は、その前提を欠き、失当といわなければならない。

また、歯科技工法二〇条は、歯科技工と密接な関係を有するが本来は歯科医業に属する行為について歯科技工を行なうに当たり、これを行なってはならない旨定めているものであって、右規定は、歯科技工の面から、歯科技工と歯科医業の範囲を定めたものと解されるところ、同条違反の行為が、歯科医業に該当する以上、歯科医師法一七条、二九条が適用されるのは当然であり(最高裁判所昭和三四年七月八日大法廷判決・最刑集一三巻七号一一三二頁)歯科技工法が、同法二〇条違反の行為につき罰則を設けていないことは、同法が歯科技工の業務が適正に運用されるよう規律し、もって歯科医療の普及及び向上に寄与することを目的(同法一条)として立法され、歯科医師法と立法目的を異にする面があるからにほかならず、歯科技工士が、歯科医業である歯科技工法二〇条所定の行為を業として行なったことを不可罰とする趣旨とは到底解さなれない。

よって、右の諸点に関する弁護人の主張は採用しない。

二、弁護人は、問診は診察行為の一つであるが、診察行為それ自体は患者の身体の現状等に関する情報収集作業にすぎず、患者に対し公衆衛生上の危害を及ぼす可能性は全くないから、そもそも処罰をもって禁止する歯科医行為には該らない旨及び仮に問診という形態の診察行為が広義の歯科医行為に包含されるとしても、被告人のなした問診に該当するとされている行為は疾病の治療、予防とは全く無縁の、義歯製作上必要な情報収集の域を出ないものであるから、診察行為とはいえず、問診をなしたとはいえない旨の各主張をするので検討する。

およそ、歯科医の行なう問診は、視診、触診などと並び患者に対する診断方法の一種であって、これを行なう歯科医の質問と患者の答弁によって成立つものであるところ、その結果は、歯科医療の出発点に位置することになり、より適切な質問とこれに応じた適切な答弁の引出しが要請されるものである。なぜならば、歯科医療における問診の目的は、口腔内の各種疾患の枠づけ、随伴疾患又は潜在的異常の有無の推定、特異体質等の把握と、これに基づく妥当な歯科医療行為の選択及びその遂行にあり、問診事項も、患者の口腔内の疾患の発現状況、その経過、現在装着している義歯の状態並びに身体の基礎的健康状態など右目的に関連をもつ諸事項について行なわれるべきものと考えられ、仮に右問診が正鵠を得ず不適切に行なわれるときは、爾後の歯科医療行為は、その指標を失ない、ひいては患者の身体等に危害を及ぼすおそれが生ずるものであり、問診が、公衆衛生の見地からして、歯科医行為に該ることは明らかといわなければならない(参考、最高裁判所昭和三六年二月一六日第一小法廷判決・最民集一五巻二号二四四頁、同昭和四八年九月二七日第一小法廷判決・最刑集二七巻八号一四〇三頁)。

また、前述したように、印象採得、咬合採得、試適、装着の各行為は歯科医行為に該るものであり、被告人は右各行為を適切に行なう目的をもって、右各行為に先立ち、患者に対し従前の義歯の装着状態等について応答を求めて質問を行なっているのであるから、これが歯科医行為たる問診に該ることはいうまでもない。

よって、右の点に関する弁護人の主張は採用しない。

三、弁護人は、印象採得、咬合採得、試適、装着の各行為は、歯科医師にのみ排他的に認められるものではなく、歴史的経過、現行補綴医療の実体、世界的動向等に照らせば、歯科技工士が行なう歯科技工に随伴する歯科技工士としての本来的業務であり、それは歯科技工法二条一項、一七条一項、二〇条の解釈上も認められるところであって、従って、一般人に対する関係では歯科医師法一七条の歯科医業をしてはならないという禁止の範囲の中に印象採得、咬合採得、試適、装着の各行為が歯科医行為として含まれるとしても、行為者が歯科技工士である場合には、右各行為は歯科医業の禁止には触れず類型的に社会的相当な行為として、構成要件該当性が阻却されるものであって、歯科医師法一七条について、そのような解釈をしないときは、同条項は歯科技工士の本来的業務である右各行為を歯科技工士の手から奪うことになり、営業の自由を定めた憲法二二条一項や同法一三条に抵触することになる旨及び仮に被告人のなした印象採得、咬合採得、試適、装着の各行為が歯科医師法一七条の歯科医業の構成要件に該当するとしても、右に述べた理由等により正当業務行為、法令に基づく行為として刑法三五条により違法性が阻却される旨の各主張をするので検討する。

歯科医師法が、印象採得、咬合採得、試適、装着等の各行為を歯科医師のみに排他的に認めているのではなく、歯科技工士に対しても、歯科技工に随伴する本来的業務として認めているとする弁護人の所論は未だ立法論の域を出ないものであって、現行歯科医師法の解釈上到底措ることのできない独自の見解というほかはない。

そもそも、印象採得、咬合採得、試適、装着の各行為は、歯科医業の範囲に属するものであり、歯科医師法一七条で歯科医師以外の者による右各行為を含む歯科医業を禁止していることは、右各行為の施行方法如何によって患者の保健衛生上危害を生ずるおそれがあるので、国民の保健衛生を保護するという公共の福祉の見地からの当然の制限であって、歯科医師でない歯科技工士も右制限に服すべきことは右制限の目的に照らして明らかであり、これをもって憲法二二条及び同法一三条違反ということはできないものである(前掲最高裁判所昭和三四年七月八日大法廷判決)。

したがって、被告人の行なった印象採得、咬合採得、試適、装着等の各行為について、類型的に社会的に相当な行為として構成要件該当性が阻却されるものではなく、かつ正当業務行為又は法令に基づく行為として違法性が阻却されるものでもないことも明らかである。

よって、右の諸点に関する弁護人の主張は採用しない。

四、弁護人は、仮に歯科医師法一七条が印象採得、咬合採得、試適、装着の各行為を歯科医師にのみ排他的に認め、歯科技工士が右各行為を行なった場合も処罰の対象とするものであり、これが合憲であるとしても、被告人の本件各行為は、いささかでも適切な義歯を求める国民の要求に応え、歯科医師法が擁護しようとしている国民の健康そのものを回復しようという目的からなされたものであること、歯科医行為としては最も危険度の低い右各行為を衛生面に十分な配慮を払ったうえ着脱式有床義歯及び健全歯の歯冠修復に限定して行なったものであること、被告人の歯科技工士として有する口腔内についての基本的知識、代診技工士としての臨床経験、その後の補綴一般並びに解剖学、生理学等の歯科基礎医学の知識、理論の学習等により、被告人は補綴部門における歯科医行為について歯科医と同等ないしはこれ以上の能力を有すること等に照らせば、社会的に容認される相当性を具備しており、かつ、法益権衡の面からみても、被告人の行為により侵害される法益は、国民一般の健康といった抽象的スローガン、端的にいえば歯科医師と歯科技工士の職務上の分担を定めた法秩序というにとどまり、実質的な意味での法益侵害の程度は極めて微弱であるのに対し、被告人の行為によって救済される法益は、依頼者の個別的、具体的な生身の健康であるから、後者が前者より優越していることは明らかであって、被告人の本件各所為はいずれも実質的な違法性が可罰的な程度に至らぬ場合として可罰的違法性を欠く旨主張するので、検討する。

《証拠省略》によれば、正しい補綴のためには、問診、視診、触診等により事前に患者の身体状況、既応症の有無、程度等につき詳細に調査したうえ、更に、レントゲン診査により残存歯牙の状況、骨殖状態、顎骨の状態、骨の吸収状態等につき把握しておくことも必要であると認められるが、正規の歯科医学を十分に修得した者でない被告人の判示所為については、右のような調査をしたうえで患者の体質及び患部の状態について十分把握していたものとは認められないので、被告人の犯した行為態様が、概ね着脱式の有床義歯の製作及び健全歯の歯冠修復に限定され、それが被告人なりに患者の健康を回復しようとの意図を有していたとしても、その行為に社会的相当性が賦与されるものとは考えられず、また、被告人の判示所為の相手方となった患者の中には、被告人が問診、印象採得、咬合採得、試適をして製作した義歯を装着した後、歯茎や残存歯の痛みを覚え、義歯の調整や再調整又は義歯の再製作をしてもらった者や、義歯の具合がよくないため、あるいはうまく発音できず口腔内も痛むのでその使用を止め従来から使用していた義歯を使用するに至った者もいるのであるから、被告人の判示所為によって患者の生身の健康、衛生状態に少なからぬ影響を及ぼした面があるのであって、被告人の無資格歯科医業が、国民の保健衛生の維持という法益に対する侵害の程度が極めて微弱であることを前提として立論する弁護人の法益権衡論もまたその根拠を失うものというべく、被告人の判示所為は可罰的違法性を有し、違法性が阻却される場合には該らないといわなければならない。

よって、右の点に関する弁護人の主張は採用しない。

(量刑の理由)

被告人は、札幌北保健所から再三にわたる警告を受け、自己の行為が、現行法に触れることを知りながら、敢えて、判示のとおり約四か月余りの間に、二六名という多数の者を対象に、計約八九回という多数回にわたって無免許歯科医業行為を行なったもので、歯学部門の各科目を十分修得した歯科医師ではない被告人の本件犯行により多数の者に保健衛生上危害を生ぜしめるおそれがあったことは否定できず(うち、数名についてはこれが現実のものとなったことは、前述のとおり)、また、同種事犯に対する一般予防の必要性も認められること等に鑑みれば、被告人の刑事責任は決して軽いものとはいえず、懲役刑の選択はやむを得ないものである。

しかしながら、一方において、被告人は、多年にわたる歯科技工士としての経験、歯科衛生に関する講習の受講、書籍による自己研さん等により歯科衛生に関する知識をある程度は修得していたものと認められること、患者の保健衛生上危険性が特に高い加綴加工義歯の製作、装着等は行なわないなど自ら一定の枠を定め、その範囲内で本件犯行に及んでいること、本件犯行の相手方となった患者の多くは、結果的には、被告人に対し不満を抱いていないこと、被告人には前科がないことなど被告人に有利な事情も存するので、これらの事情をも総合勘案し、刑の執行は、これを猶予することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥田保 裁判官 仲宗根一郎 橋本昌純)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例